〒988-0171 宮城県気仙沼市赤岩牧沢138-5

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☎ 0226-24-1611

FAX:0226-24-1448
開館時間:9:30〜17:00
(最終入館 16:30)
休館日:月・火・祝日の翌日(土日を除く)

東日本大震災の記録と津波の災害史(1F常設展示)  

東日本大震災を災害史、災害文化の視点から考えるための
様々な資料を常設展示

 

2011年3月11日から約2年間に亘る当館独自調査記録資料(被災現場写真203点・被災物155点)その他歴史資料等137点、資料総数約500点をご鑑賞いただけます。

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Ⅰ.リアス・アーク美術館が震災資料を常設展示する理由

リアス・アーク美術館は主に現代美術を紹介しつつ地域の生活文化を普及するための歴史民俗系常設展示を持つ総合博物館的な美術館です。館の基本方針としては、東北・北海道の美術を中心に調査研究、展覧会を催し、それと同時に東北・北海道を中心とする地域文化、特に漁村文化と食文化を中心に歴史、民俗などを研究、蓄積、展示しています。

開館以来、総合博物館的に地域文化を調査研究対象としてきた当館では、津波という現象もまた地域の文化的事象、三陸沿岸部にとっては地域文化形成上の重要な要素であると捉えてきました。ゆえに当館には東日本大震災被害を継続的に調査記録し、地域の文化的記憶として後世に伝えていく使命があると認識しています。

東日本大震災という出来事は多くの社会的課題を抱えたまま今後も続いていきます。本展示はそういった課題を復興過程において風化させないために常設公開されています。

同地域で津波災害が繰り返される背景には、その地域の歴史や文化が深くかかわっています。ゆえに当館では津波災害を単に外部要因としての自然災害と捉えず、地域内部の文化的要因によって被害規模が変化する人災的災害と認識する必要性を説いています。

 

Ⅱ.記録、資料収集活動の趣旨

当館では震災発生と同時に独自の調査記録活動を開始し、2011年3月23日以降は、気仙沼市、南三陸町の震災被害記録、調査担当という特命を受け、2012年の12月31日までその任に当たりました。この活動の目的は単に震災被害を記録することではなく、これまで築き上げられてきた地域の最後の姿を地域再生の為に記録することでした。

一般に災害の記録は「どう壊れたのか」という視点で行われますが、当館では「まず、何が壊れたのか」そして「なぜそれは壊れなければならなかったのか」ということに主眼を置いて記録、資料収集活動を行いました。

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○写真1.2:記録、資料収集活動を行う当館学芸員。津波被災現場は無数の被災物、ヘドロ、重油などに埋め尽くされ歩行が困難だった。また一帯は呼吸もままならないほどの悪臭に満たされ、粉塵と大量発生したハエが吹雪のように舞う劣悪な環境だった。

 

Ⅲ.展示内容について

現在、被災地の人々は震災とその前後の「記録」や「記憶」を残したいと願い、顕在化させるための試みを重ねています。「客観的事実としての記録」は、膨大な視聴覚資料として既に存在しています。しかし「主観的事実としての記憶」は未だに人々の体内に在って表現されたものはごく一部と考えられます。

当館では「東日本大震災の記録と津波の災害史」常設展示を、未だ語られていない震災の記憶を引き出すための「呼び水」と位置付けています。単に資料を見る場としてではなく、自分自身の「震災の記憶」を呼び起こし、語り合う場にして頂けることを期待しています。

 

《記憶媒体・記憶再生スイッチとしての資料》

津波は形ある物を破壊しつくしましたが、人の記憶そのものまで破壊されたわけではないと当館では考えています。しかし、時を経てしまえば、それを再生するきっかけが失われ、記憶は薄れ、いずれは消えることになってしまいます。当館では記憶の喪失を食い止めるために、記憶再生のきっかけとなる媒体を残し被災者の目に触れる機会を提供していかなければならないと考えています。それらは文化を再生する上で重要な働きをするものであり、そういう働き、記憶媒体・記憶再生スイッチとなるものとして被災現場写真、被災物を公開しています。

 

《被災現場写真について》 

被災現場を五感で知っている撮影者(学芸員)は、現場に立った人間が味わった感覚や思考を伝えることを重要視しています。何を想い、何を伝えるために撮影した写真なのか、その意味を理解していただくために、被災現場写真には全て撮影者自らが執筆したレポートを添えて展示しています。

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○写真左上:2011年3月13日、気仙沼市魚市場前の状況。歩行が困難な被災物の堆積があり、かつ此処そこから煙が上がっている。時折吹く風が大破した家屋のトタン板を揺らす。バララン…カラランというような、それまで聞いたことの無い音が四方八方から聞こえていた。それ以外の音と言えば、上空を飛び交うヘリコプターの風切音のみ。頭に浮かぶ言葉もない。

○写真右上:2011年3月29日、気仙沼市浜町(鹿折地区)の状況。津波被災現場を歩くと、目にする光景の非現実性、あまりの異常さに思考が停止してしまう。常識に裏付けられた論理的な解釈ができず、一瞬、妙に幼稚な思考が顔をのぞかせる。「巨人のいたずら…」、などと感じたりするのだ。実際、そんな程度の発想しかできないほどメチャクチャな光景が果てしなく続いていた。

○写真左下:2011年4月5日、気仙沼市仲町の状況。JR南気仙沼駅のホーム。気仙沼市民にとってJR気仙沼線は仙台方面への移動手段として欠くことのできない重要な公共交通手段だった。特に高齢者や学生にとってはまさに日常の足だった。土日には通称「お買いもの列車」と呼ばれる8時台の仙台直通列車に乗り、17時台仙台発の便で帰ってくる。おしゃれをした若者が、ロゴの入った衣料品店の袋を下げて列車を降りてくる。

 

《被災物について》

「被災物」とは文字通り被災した物を意味します。被災した人を被災者と呼ぶように、当館では被災した物を被災物と表現します。一般にはガレキと表現されていますが、当館ではそれを正しい表現とは認識していません。瓦礫とは、瓦片と小石とを意味します。また転じて価値のない物、つまらない物を意味する言葉です。被災者にとって被災物は「価値のない、つまらないもの」ではありません。それらは破壊され、奪われた大切な家であり、家財であり、何よりも、大切な人生の記憶です。

被災物の展示に当たり、当館では通常の博物館展示と異なる展示手法を用いています。展示被災物には、収集場所、収集日時を記したキャプション(赤色のカード)とともに、ハガキ状の用紙に物語を綴った補助資料を添えています。方言による語り口調で綴られたそれらの資料は、被災者の証言を採録した証言記録ではありません。

 

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当館が被災物を展示する主たる目的は、単に「破壊された物体」を見ていただくことではなく、被災物を介してそれらが使われていた震災以前の人々の暮らし、日常、さらには被災者が抱えている思いを想像していただくことです。

平穏な日常下において特に意識されていなかった記憶の多くが、じつは身の回りにある様々な物に宿っていたのだということを、私たちは津波被災によって思い知らされました。ハガキに綴られた物語は、本展示の編集に当たった学芸員が、震災発生以降、一被災者として当地で約2年間生活する中、友人、知人、また記録調査活動の現場で出会った被災者等との間で交わされた「被災物及び震災被災にまつわる会話」を基に、本人の被災経験と当館に蓄積された地域文化関連資料の内容、地域性などを反映させ、記録として残すことが困難な津波被災の諸事象を例示しようとした創作物語です。

想像を交えて創作された物語は客観的な資料価値を有していません。しかし、震災発生以降、被災地外から訪れる多くの方々が「想像もできない」と語っていた現状を鑑み、当館ではあえて「想像を補助するもの」としてこの資料をその他の記録資料と併存させ公開しています。

 

 

《キーワードパネルについて》

震災発生からの2年間、被災地での生活から得られた様々な情報や、調査活動から見えてきた課題、また被災地以外の人々との関係から見えてきた課題、テレビ等のメディアに対して抱いた違和感などを【東日本大震災を考えるためのキーワード】として文章化し、展示資料と並行する形で108点掲示しています。震災について語られる際に使用される様々な言葉の意味を改めて考えるための資料です。

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《歴史資料について》

明治29年、並びに昭和8年の三陸大津波に関する資料、また昭和35年のチリ地震津波の資料、さらに、戦前、戦後の沿岸部埋め立てや開発に関する資料などを展示しています。

三陸沿岸部には、過去、平均すれば約40年に一度の頻度で大津波が襲来している事実があり、その都度甚大な被害が出ていました。しかし2011年当時、その事実を正しく認識できている地域住民は少なく津波に対する関心も高くはありませんでした。

 

2011年3月11日、震災発生直後から人々は「想定外」「未曾有」という言葉を口にしました。しかし過去の津波災害を例とすれば、大津波襲来は想定されているべきでした。そして、過去に何度も繰り返している以上、未曾有という表現も適切ではありません。気仙沼市内で浸水、壊滅という被害を出した地区の多くは戦後の埋立地であり、高度経済成長期の開発とともに造られた街です。地域の津波災害史を正しく理解していれば、被害規模を縮小できた可能性は否定できません。

当館では「反省とは未来を考えること」と捉えています。津波の発生を阻止することは不可能ですが、私たちの生き方は変えられます。津波を大災害化させないためには、人間が変わるしかない、地域文化を進化させるしかない、当館ではそのように考えています。

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○写真左上:風俗画報大海嘯被害録(明治三陸大津波の被害記録)より。             ○写真右上:地引網で遺体を引き揚げている様子。

 

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○写真上:昭和40年前後、気仙沼市内湾の様子。気仙沼大川河口の砂州が埋め立てられ、南気仙沼地区の開発が進められている。